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年間50回ペースの登壇、1,000人以上に「評価」されて学んだこと〜なぜ私は1年間で「講演上手」になれたのか

今年の7月は怒涛のような「登壇」ペースで、公私合わせると20営業日に対して10営業日以上(おそらく12~13日)登壇していたので「講演屋さん」みたいな過密スケジュールとなっていました(あ、本業はマーケティングです)。

万事、概ね高評価となり、安心しています。

しかし、実は私の「講演による初めての登壇」は実は「昨年5月」の事でした。つまり、「講演をする人」としての実務経験はほぼ1年です。初戦では、ペース配分なども大失敗し、猛省したことを覚えています。

そんな私が「1年間」と言う時間の中で、どうやって現在では初対面の人に「引き込まれるような講演をされますね!」と言われるまでになったのか。今日はそんな話です。

 弊社の登壇では、多くの企業がそうするように「アンケート」なるものを回収していまして、そこには「講演の内容について」と「登壇者について」と言う2軸の「評価項目」が記載されています。この評価項目は、さらに10点満点の数値評価と、感想を書くフリーコメントの2軸(計4つの評価)から形成されています。

マーケティング責任者として、厳正に「講演」と言う「仕事」において、PDCAサイクルを回そうと思った時、この2つの評価軸は必要不可欠だと考えての設計です。

なぜなら、漠然と「今日の講演いかがでしたか?」と聞いてしまうと、その評価が良きにつけ悪しきにつけ「内容」によるものだったのか「講演者」によるものだったのかが分かりません。ですので、分解してアンケートを聞くわけですね。

一方で、この評価軸は「登壇者殺し」でもあります(笑)

率直に書けば、この行為は、登壇者のやっている「講演」と言う「業務」に対して、不特定多数の他人から「評価」を浴び続けることになるからです。

私が最初に登壇した時、ペース配分に失敗し、緊張により早口でまくし立て、「ああ、早かったよな」と後悔しているそこに、アンケートのコメントでは「早口で聞き取れなかった」「内容はともかく早すぎた」と言う言葉が並びました。

人間、他人から評価されると言うのは誰しも嫌なもので「わかっているから、指摘しないでくれよ」と泣きたくなったのをいまでも覚えています(笑)

でも、ここで登壇内容については、相応の評価が出ていました。「7~8」くらいがズラズラと並んでいる。万人に当たりやすい内容を一生懸命訴求していました。

ところが、これを売り上げにつなげようと思ったときに、マーケティング責任者として分析をしてみると、どうも思うような効果が「ハッキリ出ている」とは言えない気がしました。登壇者の評価が「7」講演の内容も「7」。

これを「日本人は中立思考だから、10とかはつけにくいんだよね」と切って捨てることは簡単です。しかし、どうにも腑に落ちない。登壇していて、一定の満足度を与えていることも感じているのですが、「グッ」と掴むような感覚がないのは確かでした。

このままではいけない。そう思い、私はこの2軸について、手を打つことにしました。

目指したのは当然「講演・登壇者の評価それぞれで満点を取ること」でした。

いろいろと試行錯誤したのですが、最終的に大きな決断を1つだけしました。

それが「会場にいる全員を満足させることを『諦める』こと」でした。

そもそも、「何のために講演をするのか?」と言うと「目的があるから」です。獲得でも良い。ブランディングでも良い。何か目的があり、その為の効率的な「手段」として「講演」が用いられています。

しかし、実は会場に集客された聴講者の様相は様々です。私も聴講側にいたことがありますから分かりますが、よく考えたら聴講者の方には「本当に興味があって来た」人もいれば「本当に聞きたい講演の合間の時間つぶしに来た」人もいれば「上司に言われてイヤイヤ来て、とりあえず座っている」人がいてもおかしくないんですね。

登壇をしていると皆様の顔が(向かい合っているので)見えますから、聴講者の中に「気の無いそぶりで内職」をしていたり、「完全に居眠り」をしていたり、「はあ? 何言ってんの?」みたいな顔で否定的に睨むように見てくる人とか、本当にいろいろな人が見えます(笑)

私は、彼らを見て(正直)最初は怖がっていました。

「自分の話がつまらないのだろうか。どうしよう。みんなに満足してもらわないと」と思っていました。焦っていました。ペースを乱していました。そして、そんな彼らの気を引こうと、なんとか話を聞いてもらおうと一生懸命でした。

しかし、この考えは上記から鑑みると「そもそも、間違いかもしれない」と思うようになりました。

そこで、私は「最大公約数」に注目する事にしました。

まず「目的を達する為に、レイヤーが合わない人を無理に拾っても仕方がない」と諦めました。大きな決断です。セミナー会場にいる「見込み顧客」の100の中のうちの何人かを「そもそも捨てる」と言うチョイスをしているわけです。

講演中に会場の中で「真剣に聞いている相手」を数名探し、極端な話し、その人たち(だけ)が納得するように、丁寧に講演をしてみました。その人たちに向けて「語りかけ」ました。

すると、私のセミナーアンケートの評価に徐々に変化が起こりました。講演者の評価で「10」が出てくる代わりに「3~5」も出てくる、しかし、平均値を見てみると結局「7」くらい。

そんなセミナーがポツポツと出てきたんですね。

これを、マーケティング責任者の視点で見て気がついたのです。

そうか! 7辺りがいっぱい集まる「ふんわり良かったねセミナー」をしてもダメなんだ! 10がバシッと決まって「今すぐアクションしなきゃ!」と相手に思わせるセミナーをすればいい。だって、「欲しい人にちゃんと伝えること」が、マーケティングの基本じゃないか!と(どっちにせよ平均は7なのですから)。

そうなると、「セミナー施策の打ち手」はガラッと変わります。

それは、

「講演者がセミナーに来た人すべてに10点を付けてもらう努力をすること」

ではなくて、

「そもそも、完パケのセミナー内容に10点をつける人たちだけを集客する」

ことなんじゃなかろうか? と。

つまり、セミナーのような「不特定多数」を相手にする状況で「発進側からのパーソナライズ」を求めてはNGだろうと(笑)

それをやるならば、「受講者側のカラーを一定に揃える」ほうが圧倒的に効率がいいんですね。

この発想に至った時、私は自分のセミナーの講演者評価で「5を付けられること」が怖くなくなりました。それは、単純に「相手の期待を裏切ったから低評価」になるわけであって(それは、それで申し訳ないのですが)、そうならないための手段は「このセミナーは、こう言う人が来ないとダメですよ」と最初に警鐘を鳴らす整理をすれば良かっただけの事なのです。

これにより、同時に私のスタイルが確立されました。聴講者の母集団を完全にイメージ出来ているわけですから「同一のテーマ」を求めることにより、セミナーの方向性が固まり、私の「立ち位置」(先生なのか、同業なのか、提案をするのか、と言うようなこと)が決まり、それによって自信を持って内容を伝えられるようになりました。

結果的には、自信を持ったことで、これまで評価が「5」だった人たちも「7」くらいまではシフトし(それでも1~2割 5がいますが)、セミナーとして、安定的に高評価を生み出すに至ったのです。

 私がこの1年間、不特定多数の人に「評価をされ続けて」学んだことは、講演であれ、SNSであれ、ブログであれ、なんであれ、「自分が情報発信をした時」には、必ず「賛否両論があることへの理解を持つことが重要」だと言うことです。

それは、たとえ、相手が同じ場にいたとしても、相手が自分が思っている背景と違う理解をしていたり、目的が違ったり、そもそも思考回路が違ったり、育って来た環境が違うことが起因していたり、今日はたまたま機嫌が悪かったり(笑)、いろいろな事情があるのですが、とにかく「人間はそもそも、みんな違う意思を持っている」んですね。

たとえ、それが「友人であっても」です。

(文章(理屈)にするとすごくイージーなのですが、実行は大変です。頭でわかっていても・・・と言うやつですね)。

たとえば、我々はSNSで投稿すると、必ずエンゲージメント(いいね、シェア、コメント)を心のどこかで気にしています。「この投稿、どのくらい「いいね」されたかな?」そう思うのは仕方ないんです。それは人間のエゴとして当然なんですね。「いいね」が欲しいんです(笑)

でも、冷静になって考えてみると「必要な人」に「必要な分だけ」届けばいいじゃないか!と言う考え方こそが基本だとも思うんです。これだけ他人から「会話(講演)」について評価をされ続けている自分だからこそ、思います。

「どれだけやっても、通じる人には通じるし、通じない人には通じない」

だったら結局、普通に、ありのままの、自然体の自分でやればいいじゃないかと。

間違いなく、それが最もパフォーマンスが出るし、心は軽やかになるんですね(笑) SNS疲れもなくなると思います。

その大前提を認識することこそ「=講演慣れすること」の第一歩なんじゃないかな?と、私が1年間、他人の目から評価され続けて感じたことを書いてみました。

みなさまの、何かの参考になれば幸いです。

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