「プラットフォームの消費者」という考え方。
その意識改革は、戦略に「何を」もたらすのか
2023.02

最小のリソースから、最大の成果を出すための考え方

2023.02.01

去る11月に、Webサイトのリニューアルを終えた弊社。

その成果は……?と言うと、全体の流入は多少の減少をした一方、来訪者のコンテンツの閲読の時間と、回遊、そして効果は大幅に伸長することとなりました。

また、面白いのは当サイト経由の拙著(最新刊)の売れ行きが、堅調に推移し続けているということです。そのくらい、サイト内の「興味喚起~理解促進」がキチンと機能していると言う事でしょう(ただ、申し訳ない事に、弊社コンサルティングは、ご紹介のない方・新規ご相談・受付は、もう3年近く停止しているままなのですが……)

まあ、それにしても、
「必要な方にだけ、よく読まれ、正しく理解していただく」

という、当初の狙い通りの「目的」を果たしている事は、数字を見ればわかります。
ありがたい限りです。

さて、そんな弊社なのですが、

「リニューアルの際に、何をしたのか?」と言うと、その設計思想は少し風変りで、

1)コンテンツ量をリニューアル前より70%削減
2)生き残ったコンテンツの文字量を30~50%カット

と、言った「減らす、削る」と言う、通常の企業が、おおよそやらないような事ばかりをしています。

この思想に行き着くために必要な根本的な考え方が「プラットフォームの消費者にならない」という視点でした。

それはいったい、どういうものなのでしょうか?

本日のコラムは、そんな「考え方」のお話しです。

▼「プラットフォームの消費者」とは何か

実は、私は今から2年ほど前、ある(知る人ぞ知る)プロフェッショナルの方から「自らのメディア露出」についての金言を頂いたことがあります。

その内容は、一般的な常識からは、おおよそかけ離れたものでした。

「君がいまの事業への考え方でずっと続けることを望むなら、現時点でSNS活動なんてしなくて良い」

驚愕の一刀両断(笑)

「もし、君が本気ならブログを含めた外部のSNS活動を、いますぐすべて辞めてアカウントを閉じてしまいなさい。そして、真にやるべき事だけに時間を使うんだ」

と、返す刀でバッサリやられました(笑)

現代の時代の流れや、おっしゃられた方の立場。そして何よりも言葉の破壊力そのものに「ええーー!?」と耳を疑ったほどのアドバイスだったのですが、

「まあ、せっかくだからやってみよう」

と、一般的なメディアのアカウントをすべて閉じてみることにしました(!)

最初は正直、多少の不安もあったのですが、消してみると案外、私の生活は「何も変わらない」どころか、むしろリソースや心理的負担の無駄が一切なくなり「充実したもの」に変容を遂げるに至りました。

そして、当の私自身が、
「ああ、やっぱりそうだったのか」

と納得すらしてしまったのですが、そこに至ったきっかけは、このアドバイスを頂く少し前に起こった「事故」と「違和感」でした。

▼誤BANでアカウントが停止! 冷静に考えた「自らの在り方」

私が自らのアカウントを削除をする数か月前、私は、自社のある施策の展開のために某SNSの設定をしていました。通常通り、設定処理を行い、配信をしたのですが、半日後くらいに唐突に「重度の警告」を食らう事になります。

そして、間もなく私のアカウントは停止され、すべての投稿が引きあがることとなりました。

どうも、その時期は主に海外でそういう事例が多発していたそうで、私は何かのとばっちり、あるいは誤ってアカウントが止められたようなのですが、私はそのタイミングで「どうしても時期を外せない事」をしていたので、正直、この状況には肝を冷やしました。

そして、その対応策について検索をしてみたのですが、大体のサイトには「諦めるしかない」という類のことが書いてあり、「そんな悠長な事を言っていられるか!」と英文メールで運営に突撃、どうにか、2時間後くらいには誤解が解け、アカウントが復旧し、解決に至りました。

このピンチを体験をし、しみじみ思ったのが、

「仮に成功して数字を重ねてみても、私は結局、このプラットフォームに乗っているだけの、ちっぽけな存在だ」と言うことでした。

私の命運は、彼らのさじ加減一つでいかようにでも決まる。

しかも、それは時として「私の行動とかは、関係なく」決まる。

担当者のちょっとした誤解、手違い。

そんなもので、フォロワーだとか、拡散だとか、投稿数だとか、そういった「積み上げてきた数字が、一瞬で水泡に帰す」と言う事実です(最近では某経営者・経営方針の変更……なんていう理由もありましたが)。

しかし、それは、よく考えてみれば、

・SNS全般領域
・Googleなどの広告領域
・SEO(検索)対策
・記事などのストック資産を外部メディアだけに依存すること
(アフィリエイトサイトやブログポータルなど)
・いわゆるYoutuberみたいなもの

実は、すべてが「そう」なわけです。

もし、ここに私が企業として大量のリソース(時間、お金)を投じていたらどうなることでしょう? それが社運を賭けた事業なら「気分が落ち込む」どころでは済まない事でしょう。すべてのリソース、これまでの努力が一瞬で水泡に帰す訳ですから。

そして、間違いなく、損害賠償などはできない訳です。

いわゆる「生殺与奪件」を「常に、自分以外の誰か」に握られているという、普段はあまり気にかけていない「真実」。その「本当の意味」を目の当たりにしたとき、私は、正直、背筋が凍るような思いがしました。「なんて、迂闊な事をしていたのだ」と。

しかし、よく考えてみれば、そういった声は、以前からチラホラは聞こえていたはずなのです。

たとえば、ブログで収益を得ていた人が「ある日、Googleの検索アルゴリズムが急に変わって、来月からの収益がゼロになってしまった。もっと集客の在り方を考えておくべきだった」とか、「楽天モールで売り上げを上げていたんだが、色々ルール変更などがあって、上位に掲載されなくなった。利益が出なくなってきた。こんなことなら自前のECサイトを強化しておくべきだった」とか。

この業界の歴史を紐解いても良いでしょう。思い当たることばかりです。

「消失した、まとめサイトの編集人って何が残ったの?」とか、「かつて栄華を極めたSNSのカリスマの現在は?」とか。

それらにしたって、そんなに昔の話ではないわけです。

「全部、問題の根っこがソコじゃないか」

と、改めて認識した私は、その後、先のプロフェッショナルにコメントを貰いに伺った訳ですが、そこでもらったアドバイスが要は、

「考えもなしにトレンドの消費者になるな」と言う言葉でして、それはつまり「生殺与奪件を自らの手に取り戻せ」と言うメッセージ。もっと言えば「時間を自分のために使い、自分のための行動をしろ。まずは、自分の型を創れ」という金言に他ならなかったのです。

なぜなら、私が、今後10年、20年と事業を続けるためには、

「そうでなければ、ならないから」です。

▼SNSが使えないからこそ「どうしよう?」を本気で考えた

さて、そういう訳で当時は「どうにかせねば」とある意味ハンデ戦を始めた自分なのですが、ここからが面白かった(毎度、趣味のように、逆境を楽しんでいますが……笑)。

なぜなら、この状況は「リソースがほとんどない新規事業が、大手企業に立ち向かう構図」にそっくりだったのです。

限られた原資を、集中的に投下して、最短で目的を達するにはどうすれば良いのか?

そのために本来活用できるはずの「プラットフォーム」と言う「ショートカット」を活用できないとして「では、私に何が出来るのか?」さまざまな試行錯誤を繰り返す中で、ある日たどり着いた答えは以下のものでした。

「すべてのプラットフォームは(依存するものではなく)巻き込むのが正解だ」と。

そこから、本格的な「戦略の道」構想との戦略連携が始まりました。

▼生殺与奪件を確保するために

「戦略の道」構想の展開は(時間こそ必要なものの)思考としては早いものでした。

まず、事業の「核」となるものは、あくまでも「自前で用意」する。

ブランド、Webサイト(ドメイン)など……、最初は「力が無くて載せているだけで貧相。だから見せる事すら恥ずかしい」レベルであったとしても、とにかく「今後、何十年も携わる大切なものだからこそ、しっかり戦略を練り上げて、自前で」用意する。

その根拠にあるのは「核」という概念です。

それは、たとえば「すべてのコンテンツのゴールは、自社サイトに帰結する」と言う「集約思考」です。

大事なことは自社サイトで話す。もっと言えば、会ったときにだけ話す。
だから、それまでの情報はすべて管理・統制下に置く。なんなら公開すらしない。

次に、決して「プラットフォームで目立つためだけのこと」はしない。

それは、突き詰めれば結局は「そのプラットフォームが利するだけの消費者の行動」だから(それは、労働者が成果を最大化しても、資本家にはなれない様に似ています)。

こういった基本思想を元に、SNSやブログなどの外部展開のすべてを「この自社サイトに送客するための手段(もっと先に行けば受注のためのきっかけ)にしかしない」と定義できれば、「プラットフォームに依然せず、主体性を持ってプラットフォームを巻き込む考え方」が理解できます(これぞまさに「受注プロセス戦略」の考え方そのものなのですが)。

そして、それが実現出来れば、たとえば、ある日突然「頼りにしていたSNS」が「丸ごと消滅した」としても、そのルートを「別の流行のSNS経由」にヒョイと乗り換えることが容易に出来るようになります。

なぜなら「本丸」は、常に手元にあり、統制下にあるからです。

この世界観が見えた瞬間、そういう関係性を、すべての媒体と構築するために、SNSや広告、媒体露出において「何をすべきなのか」はもとより、「何をしてはいけないのか」までもが見えてくる。

結果、すべてのメディアと、正しく向かい合えるようになった私は、それまで各種媒体に費やしていた「多大なリソース」をすべて返上し、そのリソースをすべて本業に投下するに至りました。

そして、自社サイトにおいてでさえ「会って話せばいいからWebの情報はココまで」と線を引けるようにもなりました。

だからこそ、弊社ではリニューアルに際し、コンテンツが削除・削減された訳です。
(しかも、そのほうがキチンと伝えるべき情報が伝わるのですから、皮肉なものです)。

▼「依存しない」その先にあった「果実」とは

結局、私は、みずからのアカウントの大掃除をした2年ほど前から、SNSのアカウントを新規開設していません。活動も最小限で、頻度も「思いついたとき」程度です。そのくらい力をかけていません(それでも上記で述べた通り、弊社コンサルティングは、ご紹介のない方・新規ご相談・受付は、もう3年近く停止したままです)。

あくまでも私の場合ですが「事業戦略上、必要がなかった」からです。

なぜなら、私の目的は、SNSで目立ちたい訳でも、人気者になりたい訳でも、たくさんの共感を得たい訳でも、無暗につながりたい訳でもなく、「真に自分を求める人の力になる」=「BtoBビジネスを展開する」ことだったからです。

時間も、思考も、すべてのリソースは「ただ、そのためにだけ」に使いたかった。
そこに関係ないものは徹底的に排除し、優先順位を付けて行動していました。

だからこそ、最速で現在に至ることが出来た訳です。

「流行っているから。それが王道だから。多数派だから」

そのような、利害関係者のポジショントークに踊らされないために必要だったのは「安易な力への依存からの脱却」であり「考えもなく消費者にならないこと」でした。加えて、戦略をうまく機能させる事ができれば、我々は、そのような様々な「力」を「最小のリソース」で味方にすることが出来ます。

自らの例を挙げて解説します。

たとえば、戦略的によく練り上げたタイトルを付けた書籍を出版できれば、Amazonや楽天ブックス、大手の書店ネットワークがその書籍を扱う訳です。「著書のタイトル」のSEO検索の受け皿は「彼ら(大手ブランドの)のドメイン」で労せず独占することが出来ます。

あたりまえですが「著書」には「著者名」が必ず存在します。

ですから、その「書籍のタイトルや内容」が「ビジネスに対して適切」に機能していれば、興味を抱いた方が、私の名前を検索してくださる訳です(拙著の場合、Amazonの紹介ページに、著名な事業者様の要職の方からの推薦文がありますから更に効果は膨らみます)。

そして、そのGoogleの検索結果には、弊社のサイトか、それに類する事業の情報しか表示されません。

なぜなら、私は「SNSも、外部のブログも、持っていないから」です(!)

これは、

1)「著書のタイトル」と言う「認知を担う情報」が各媒体に「拡散・拡充」展開している(開いている)一方、

2)その先に存在する「私の指名検索」に対する情報が「収束」している≒自社サイトくらいしかない(閉じている/仕事に必要な側面だけを見せている/余計なノイズが無い)

3)結果、閲読者には「ビジネスに必要な情報」だけが与えられる≒寄り道なく効果を生み出す

という「じょうご」のようなメディア戦略≒集客設計を「はじめから意識して構築しているからこそ実現できるマーケティングの施策展開です。

(余談ですが、たとえば、この場合、上記の流れにより「SEO対策が出来ている」と言う事にもなります。SEO集客の王道とされる「コンテンツの投下」すらしていないのにも関わらず……です。私が、時間やお金をかけなくても、Amazonがやってくださるからです。そして、拙著のタイトルには商標が入っていますから後付けの参入は困難です)。

上記はあくまでも一例ですが、そんな風に、

1)「ビジネス」と言う「核」を決め
2)そこに関連する、あらゆる施策(媒体)に対し「何をさせて、何をさせないのか」という「力あるものの巻き込み方」を決め
3)それらを戦略的に結び付けていければ、

結局は「最短ルート&最良のリソースで目的を果たせる」ようになります。

これは、「SNSの効果を最大化!」などと言う1センテンスの戦術だけを学んだところで設計すらできません(むしろ逆方向に走るだけになることでしょう)。そして、これこそが弊社が提供する「受注プロセス戦略」の本質≒その事業者の「身の丈に合った、実現できる戦略」を成立させるという事です。

プロがおっしゃっていた「金言」の本質もまた、ここにありました(リスクを取らせても、結局は長期の成果に繋げてしまうのですから、とんでもないと思います。たぶん、こういう未来が見えていたんだろうなあ……と)。

「すべての行動が、常に本来の意図と接続している」と言う、その事業者の身の丈に合った設計を、どう練り上げ、実現するのか?

これを「核」という統制下の元に設計できると、多くのリソースは「選択と集中」(つまり最小化)をすることが可能になりますし、結果、実利にもつながりやすくなるのです。仮に私が今後SNSに注力するとして、もはやどのSNSが覇権を取るかを気にすることは無いでしょう。なぜなら、自らの本丸は常に「幹」として手元に存在している訳ですから。

私が行き着いた(そして、プロが述べていた)「プラットフォームを巻き込んで、味方にしてしまう」という「自己を中心としたプラットフォームとの関係性の在り方」。

これは、理解するだけでも、非常に価値があるものだと思います。

▼結局、考えるべきは、常に「それは本当に必要なのか」?

こういう仕事をしていると、お客様からよく「最新のあの手段がやりたい」とか「この媒体が流行っているから手を出してみたい」と言う言葉をいただきます。

ただ、冷静に考えてほしいのは、それらは「消費者の思想ではないか?」と言う事です。

流行っているから抑えておくべき。話題だからやってみるべきなどなど……。

真に必要な打ち手は、自らの戦略下において「活用」されるべきものであって、興味本位だけで大切なリソースの大半を(時には人生の膨大な時間を)そこに持っていかれているようでは「プラットフォームが利益を出すために(消費するために)活動している」ようなものです。

これは個人レベルでも同義で、あなたの人生は、あなたが定義するべきであって、他の誰かのためのものではありません。

また、あなたが人気になるためでも、目立つためでもなく「目的を達するため」に使われるのが本来のリソースの在り方のはずです。つまり先の話で言えば、すべての露出が「開きっぱなし」では効果も限定的になる……と言う事です。

そもそも、マーケティングとは「価値創造」です。

創造した価値を「どのようなストーリーで構築し、伝えるべき人に伝えるのか」。
その戦略成功への道すじは、自らの意思で展開することによって初めて開かれます。

つねに手綱(イニシアティブ)を握るべきは主たる自らであり、この本質を理解することで、打ち手の本質が見えてきます。

私も、自らの経験を通じて改めて言います。

「果たすべき目的」を持つのなら、あなたは「周りの空気に流されるだけの、プラットフォームの消費者」であってはなりません。世論や、一般論に惑わされず「自分にとっての最適解を見出すこと」こそが、真に重要なのです。その結果、「必要だ」と確信できるのならば、思う存分やればいい。その際、生殺与奪件を「自分に持つ」事だけを忘れないようにしましょう。

さて、最後はいつものように伺います。

貴社のマーケティングや営業戦略は、意志を持って、本当に成すべきことだけに、集中できていますか?