短期的な派手な成功。
長期で見た、本質的な成功。
経営者がするべきは言うまでも無し。
2024.04

「本質」なら、成果が出続ける理由

2024.04.09

創業6年目を迎え、「ひとり企業」でありながらのんびり経営をしていますが、最近、様々なところで数年前の仕事について「続きの成果」が出ることが多くなりました。弊社で「実例企業」になっているところからいくつかピックアップするだけでも、

1)新規事業で立ち上げて「売れた経験」が無かった商材が、社内で表彰をもらうようなプロダクトに飛躍
2)障がい者雇用の案件で、体裁を整えて立ち上げた案件が、商品展開を充実
3)バイヤー訴求から成果を積み上げた商材が新宿伊勢丹に常設で展開

など、明確に「その先の未来」の方が輝かしいのです。

実は、これらの飛躍の秘密はなんでしょうか。その共通点は「本質」にあります。

今回は「本質を捉えるとはどういうことなのか」について語ってみます。

本質には決して「派手さ」は無い

上記3つの案件を支援していたタイミングでは、支援した当時、

1)メディア露出などもほとんどなく
2)誰に大々的に注目されるでもなかった
……と言う点で状況が完全に一致します。

そんな中でも彼らは「シッカリと土台を創ってビジネス立ち上げる」という基本に忠実にコツコツと「やるべきこと」を積み上げ、目の前の派手さ踊らされず、「やるべきこと」はもとより「やってはいけないこと」を注視して、決して十分とは言えないリソースで事業に取り組んできました。

以前も別の記事で書きましたが、特にこれらのような「スタートアップの段階」と言うのは「決してリソースは十分ではない」ことが「当たり前」で、むしろ地味なことが普通です。

見据えるべきは「今日、誰かに称賛される事」ではなく「数年後に、両足できちっと立っている事」だという事です。

 

大衆は「瞬間」だけしか切り取らない

そして、こういったプロダクトや、取り組みが数年後に花開き、多くの人の目に触れるとき、それを見た人はどうしても「その瞬間の成果」に着目しがちです。

また、人間の脳というのは「過去の記憶を美化」したり「過去の経験を良いように書き換えてしまう」という性質を持っていますから、その成功の段階でコメントを求められると、成功者自身も「こういう事をしてきた」と語ったりするのですが、その多くは「脳の書き換え補正」を受けた後に「事後に語っている話」のため、実はそこに真のリアルはありません。

「良い話」として聞くなら良いものの、そこから「~に学ぶ~」というものの中には、実際問題「それは後からだから言えることだろう(あるいは、後出しじゃんけんで理屈をつけたものだろう)」となることも多いのが実態です。

現実はもっと地味で、愚直で、誰もが右を向いているときに「それでも左を向く」ような覚悟の上にしか成立していないのです。

納得して王道を突き進む

5年も事業をやっていると、創業時に周りにいた企業がいくつか栄枯盛衰というか、消えていく模様を目にします。消える企業の多くは、一時期メディアを騒がせ、やれ天才だのと凄いだのと、取りあげられたものが多い印象もあります。相対的に「あの時の勢いは何処へ…」というものもありますし、「まあ、ハリボテだったんだろうな」というものもあります。

本来、「本質論」で語らせてもらえるなら、こういう仕事をしていると、たとえば「コンサルタントとして」の露出のされかた1つを取っても

1)成果なら「前職よりも現職の成果」を露出すべきですし
2)実力なら「理論よりも成功実例」で見せたほうが自然ですし
3)実績なら「就任時よりも、達成時」に公開するほうが価値が高い

なんてことは「キホンのキ」くらいのレベルで分かるのですが、これ、良く見て頂くと、左側はすべて「早い段階から使えるリソース」であり、右側は総じて「着実な代わりに時間が掛かるもの」だという事がわかります。

企業を存続させ、繁栄させるのなら、どう考えても「右側」でコツコツと推進すべきところを、多くの人はついつい「左の価値観」(お手軽で即効性が高くなりがちなもの)に終始します。しかし、残念な話ですが、本質はそこにはありません。

・常に「目の前のことだけ」に終始して、5年後も同じことをしていたいのか。
・いまは苦労してでも5年後に違うフェーズに行ける自分になりたいのか。

王道とは、「どっしり腰を据えた、着実な歩みの先」にしかない。私は、そういったことを理解し、遂行出来るクライアント様と共に、これからも成果を出していければと考えています。