AIが台頭する中で、ニュースなどで「SEOの終わり」が声高に言及されるようになって来ました。多くの企業のマーケティング担当者は、この流れを受けて「SEOからLLMOへ!」と記事の方向性を変えたり、専用の「対応」に迫られるケースも増えています。
しかし、「本質論」に立ち返ると、この対応を「しなくても解決できる」という部分に帰結できます。
具体的に実物を明示するほうがわかりやすいと思うのでキャプチャを貼っておきましょう。

どうでしょう、AIは「受注プロセス戦略」の要素を相応に解説してくれています。もちろん、現状のAIには特有の「ハルシネーション(誤情報)」も見られますが、本質はそこではありません。
むしろ注目すべきは、不完全な状態のAIですら、私の『受注プロセス戦略』という概念を参照せざるを得ない状況にあるという事実です。AIは既に、私が創り上げた土俵の上で情報を生成し始めている。話のポイントは、「なぜ、このようにAIの挙動をコントロールできるのか?」という核心部にあります。
その解決のヒントは「戦略と視座」にあるので本日のコラムではその話をしようと思います。
▼なぜ、LLMOの対策を「しなくて」も「求めている回答」が出せるのか
そもそもLLMOを推進しようとしても、SEO対策の時同様、我々は「解」を持っていませんから非常に頭の痛い問題かと思います。
もう少し言及するならば、たとえば、ChatGPT、Gemini、Claudeなど、多岐・多様にわたるAIの「どこが覇権を握るのか?」が決まっていない現状、その「全方位にキッチリ対応する」というのは一見して「無理筋」に思えます。
しかし、これは「コロンブスの卵」的な思想ひとつで解決できます。
なぜなら、この「対応に追われる組織」は、戦術でしかものを見ていない。
真に必要なのは「戦略」だということです。
拙著「逆論のBtoBマーケティング」でも明示していますが、「最高のSEO対策」というのは、「数ある企業の中でSEOで1位を取ること」ではありません。
最高のSEO対策というのは「自社以外の検索結果が出てこないこと」です。
これなら、純粋想起だろうが、助成想起だろうが「起きる事がありえない」訳です。
具体的な手法としては「商標を抑えて、その啓蒙を行うこと」であり、「その商標が何者とも検索結果でそもそもぶつかっていないこと」にありますが、「たった、これだけのこと」で、そのワード領域における「圧倒的なシェア」は取れる訳です。
「受注に至るプロセス」という概念は、おそらく多くのマーケティング支援事業者が「使いたいはずの言葉」であるにもかかわらず、商談へのプロセスや、営業のプロセス…という表現にとどまる(とどまらざるを得ない)事情は「商標権」という圧倒的な法的リアクションに守られているためであり、ここが「不可侵」であるからこそ、「オセロ(リバーシ)の角」を抑えたような効果は「永続」することになります。
逆論と書いていますが、実際問題「実に本質的かつシンプル」な取り組みであることが、ひとめで見て取れると思います。
「しなくてもいい努力」に工数を使う行為は「賢い選択」とは言えません。
▼優秀な「しくみ」はそのままLLMOにも適用される
さて、ではなぜ、この「しくみ」がLLMO対策にも直結するのでしょうか?
その「答え」は、側面は「もうひとつあるから」という事実です。
商標権を行使して、自社が独占するという事は「情報ソースが自社しかない状態」を生み出すことが出来ます。
つまり、今後「どのAIが覇権を握って」も、「弊社の統治管理下にある情報しか引用できない」という「状況」が必然的に構築されることになるのです。
たとえば、私自身もそうです。なぜSNSで「個人の感想」や「最近食べた料理」などを公開しなかったり、極めてプライベートな私見を述べない、あるいはフロー型のSNSを「やらない」のかと言うと、実はこの「情報の集約」を目指しているためです。
逆に「公的に権威性を担保できる」情報であれば、この外部の進出は大いに歓迎されるべきものです。
昨今であれば具体的には「NewsPicksにおけるコメント対応」や「BBT大学における講師就任・カリキュラムにまつわる情報」でしょうか。
どちらも私の権威性を「高めること」はあっても、ノイズにはなりません。つまり、拙著でも何度も述べていた「最小のリソースで、最大の成果を出す」ことが現実に稼働していることが見て取れます。
▼AIファースト時代は「やらないこと」こそ重要
これまで、マーケティングの界隈は主に「情報格差」をキーにして、その影響力が決まっていました。具体的な情報の一部を秘匿しながら概況を報告し、その対価として「個人情報」というリストを構築し、その先行者利益によって、案件化を図る…というビジネスモデルです。
ただ、この潮流はあと数年もしないうちに「陳腐化」していくと予測されます。
もはや、情報は「誰もがアクセスできる事が当然」であり、「情報格差」そのものをAIが埋めていくためです。たとえそれが「自社が頑張って調査したレポート」であっても、そもそも「そういうオリジナルソースをAIがまとめて集計する事」が未来的に「見えています」から「情報が多い事=正義」にはなりえない…というシンプルな構図です。
さて、そうなると「手札は厳選して少なくあるべき」という状態に帰結することになります。
先のLLMOの事例を考えれば自明の理ですが、「引用元のソース」は制御された統治下にあるワンソースであれば、どのAIが覇権を握っても「結果は同じ」に統合されます。まさに、こちらの「意図の通りに」ということです。
大量の情報を投げつけて「その中からベストなものを…」という考え方は、突き詰めればどこまで行っても「既存のフレームワークを顧客に合わせ適用している」に過ぎません。
AIによって誰もがアクセスできるようになったのは、あくまで点在する『知識』です。しかし、それらをいかに構造化し、自社ならではの価値へと昇華させるかという『知恵』こそが、これからの人間の、そして企業の価値になります。これだけ瞬時に模倣が可能な社会で本当に必要なのは、模倣困難な知恵、すなわち『戦略こそが王様』だということなのです。
▼近い将来、リソースすらも厳選される
その企業でないと出来ないことを「戦略レベル」で設計出来ることこそが価値となる時代に必要なのは、限られたリソースの中で「やることを厳選する事」しかありえません。
なぜなら、「リソースは有限だから」です。
そもそも、GAFAMをはじめ多くの企業がリソースを削減する方向に舵を切っているのはニュースなどで報道されている通りです。
理由はシンプルに「そこに工数が必要ないから」です。これはマーケティングも同義です。
たとえば、チームを持って伴走支援に当たるマーケティング支援企業はそもそも「その人件費をペイしなければならない価格設定」をしなければなりません。
しかし、これに対しては「あらゆることを(AI共助で)ひとりでも出来る」ほうが圧倒的に小回りが利きながら、高い投資対効果を生み出せる……というのは誰にでも想像に容易いと思います。
なぜなら、「AIを有機的にマーケティング戦略の活用に展開できる文化」さえあれば、それがベースにあればあらゆるクリエイティブでさえも、もはや「AIが代替してくれる」時代になっていくからです。
▼体系化された「学び」と、「自社への最適化」だけが「道」を生み出す
そんな背景の中、今回、私は、大前研一氏が学長を務めるBBT大学で「受注プロセス戦略」とAI活用を用いた講義を持つことになりました。
これが表す事実は、私の持っている思考とメソッドが「学術的に解説できるレベル(つまり再現性が高い)メソッド」であることを第三者が明示的に認められたというものです。
本メソッドの体系化には「5年」という時間を費やし、その成果を「実績」という形のみで積み上げてきましたが、ようやく教育の現場で波及するチャンスを頂けたことは望外の喜びです。
実際の支援を通じておもうことは、各社に必要なのは「マーケティングの原理原則に立ち返り、自らの思考とAIとの共助を持って、最速でこれをアウトプットにし、その改善を継続に行う事を『体得する』ことでしょう(学習ではないところがポイントです)。
そのためのショートカットとして私の「戦略論」も存在する訳ですが、それを使うにせよ、そうでないにせよ、基本的に必要なのは「本質思考」だけです。これを持てば、メソッドの有無にかかわらず成果は出せます。
ただし、「その取り組みが待ったなし」という場合はメソッドは優先して活用されるほうが投資対効果は高く出る。だから、学びの門戸を拓けたことは本当にうれしく思います。
それがコンサルティングであれ、大学の講義であれ、マッキンゼーなどでスキルを磨き切った、王道マーケティングの権威である菅野教授とともに、多くの方に「明日から生きる、本当のマーケティング戦略論」を通じて企業の発展に寄与できる事を楽しみにしています。