先月から今月にかけて、マーケティング業界が揺れました。
きっかけは、ある著名企業にまつわる一連の報道──。その是非を論じることが本稿の目的ではありませんが、私はこの件を通じて、「期待値コントロールの失敗」がいかに業界全体の信頼を損なうかを、改めて痛感しました。
そもそも、マーケティングやコンサルティングという仕事は、「成果を約束できない」性質を持ちます。
これは法律上も「準委任契約」とされ、納品物や成果への義務を負わないのが通例です。発注者にとってはリスクがあり、だからこそ、支援する側には高い倫理観と誠実性が求められます。
それが出来ないとき、「評価」のバランスは瓦解します。
たとえば、あるレストランに入ったとしましょう。
クチコミも3だったので「さほど期待していなかった人」は、料理の味に「感動する」ことはあり得ても、大きな「失望」はしないことでしょう。
なぜなら、失望とは常に「高い期待値」と「貧相な実態」の「ギャップ」によってもたらされるからです。
料理のような「味」と言う評価軸のあるものなら、この見分け方は合意が簡単ですが、しかし、コンサルティングとなると、そう簡単には行きません。我々は「成果は約束できない」中で、どのように「信頼」を提供すれば良いのでしょうか。
私の結論は、こうです。
「信頼とは、”期待値の根拠”を明示することである。」
今日はその内容に踏み込んでみましょう――。
▼メディア型の"期待値過剰設計"に潜む落とし穴
確かに、昨今のマーケティング界隈には、「メディアで持ち上げられた”主流派”に見える人々」が良い思いをする構造が存在しました。カンファレンスや書籍に何度も登壇し、”権威性”で信頼を得ていた人たちは、「凄いに違いない」という権威性を担保していました(それは、それ相応の努力もあったと思います。是非はさて置き)。
しかし、昨今はその「流れ」が、だいぶ通じなくなってきているように感じます。
「期待値の設計」が実態に対して過大になれば、ユーザーは過剰な“素晴らしいものに違いないという思い込み”を起こし、その前提で意思決定され、実行フェーズにおいて幻滅される」。そんな構造的な乖離が、支援者と被支援者の間に生まれていることが、徐々に可視化されるようになってきたのです。
ましてや、それが、クチコミ、評判などの形に現れれば、長期的にブランドは棄損を続ける。
当然ですが、一度裏切られた消費者は、その方への「信頼を失墜」させます。
「あれが虚飾だったのだから、実はコッチでもそうなのではないか?」
「騙されたことのある人間」が、「騙した側」にこのような疑念を持つことを「おかしい」と否定できる人はいないでしょう。信頼関係の構築とは永年の時をかけて育まれても、それを瓦解するのには本当に一瞬で十分です。
したがい、信頼の連鎖は、一気に反転し、疑念の連鎖に生まれ変わってしまう。
しかし、これを起こさないための処方箋は難しい事ではありません。
「身の丈で話をして、相応に妥結をすればよい」だけなのです。冒頭のレストランの理屈です。ありもしない虚構を振りまくから過剰な期待を生み出すわけで、その「負債」を背負うまま露出だけ伸ばしても、事態は悪化するのみです。
そもそも、マーケティングは「協働」であって「指導」ではありません。
その事からも、「最適解」は常に「現場」にしか存在しない。であれば、その条件を「事前に開示し、妥結する」のは信頼関係の素地としても、当然の成り行きにしかなりません。
しかし、これは多くの人にとって「都合が悪い」事もまた事実です。なにせ、地味だからでしょう。
本質の「示し方」とは。
しかし、私が思うに、今こそ時代に問われているのは、「誰が何を語っているか?」ではなく、「その人は、何ができるのか?」というファクトだと感じます。
そして、「行動」は常に「言葉」より雄弁です。
私たちは、以下の観点で”信頼できるものなのか”を判断すべきです。
発信内容の検証:メディアに出たなら、「何を語っていたか」を検証
メソッドの透明性:What/When/Why/Howが明示されているか
実績の検証可能性:そのメソッドは、実際に成果を出しているか
データの信頼性:数値や事例は、恣意的な切り抜きではなく、ファクトベースか
権威の帰属性:それは、本当にその人個人の力によってもたらされたものなのか
その、冷静な判断があってこそ「正しい期待値」は生まれます。
そして、これは、我々発信者がからすれば「誠実にビジネスを進めるための鉄の掟」でありながら、消費者サイドからすれば「情報に騙されないための個人が勝ち得る防衛策」でもあるのです。
マーケティングは、正しく使えば確実に成果を出せる「技術」です。
だからこそ、我々実務に携わる人間は──
「誠実に、透明に、期待値をコントロールする」。
業界の信頼回復は、一人ひとりの誠実な実践から始まります。
「行動で示す」ことこそが、本来の、そして、現代に求められている期待値の理想形なのでは無いでしょうか。
私自身も、常にこの原則に立ち返り、自らを律していきたいと考えています。
引き続き、Marketer’s Brainをよろしくお願いいたします。