▼「自分は必要であるべき論」の正体
ある業界で働いていたとき、ある程度の名の通った方がこんなことを言っていました。
「若手にチャンスを与えるのは大事だが、やはり、私のような経験者が前に出るべき時もある。それが業界のためでもある」
しかし、私はその言葉に、ある種の違和感を覚えました。
表面的には、非常に誠実な物言いです。
「若手にチャンスを与える」と言っているのだから、後進育成を意識しているようにも聞こえます。
しかし、よく考えてみると構造的におかしい。
なぜなら、「経験者が前に出るべき」と言った瞬間、それは「若手にチャンスを与える」行動と矛盾しているからです。
つまり、彼の言動に「透けて見えてしまった」のは、 「若手育成も大事だが、結局は自分が前に出たい」という意志。
そして、それを「業界のため」という大義名分で正当化しているだけなのではないか。
これは「全体最適化」ではなく、「個人最適化」を美しい言葉で包んでいるだけなのです。
実際、彼は周囲から(本人は自覚のないままに)「手柄を横取りする人」として認識されていました。そして、それが「組織としての健全性」に問題を生み出していました。
企業・業界レベルで俯瞰して見れば「促進の足枷」だった訳です。
▼自分の「存在」が、若い可能性を摘む
しかし、実は、かくいう私自身も同じ「落とし穴」にハマりそうになったことがありました。管理職として働いていたとき、いまでも悔いの残る経験があるからです。
それは、私の「存在そのもの」が、可能性を持っていた若い才能の心を折ってしまったかもしれない、ということ。
たとえば、特定の人間が長く権威ある立場にいることは、「その座席が永遠に空かない」ことを意味します。そして、もし私がその場所に居続ければ、部下にとっては「出世の芽が摘まれる」ことになる。
「あの人がいたら、自分はいなくてもいい」と思わせてしまうからです。
つまり、自分の安寧は、他者の不幸になり得る。 そして、冒頭の方の言葉を思い出したとき、私は愕然としました。
自分も同じことをしていたのではないか、と。 業界や組織の健全性を考えるなら、立場ある人ほど権力に固執せず、後進のために道を拓くべきです。
それを怠れば、権力への依存や癒着という”老害化”のリスクを内包することになります。
▼促進と継承を両立させる"開放型"の仕組み
では、どうすればいいのか。
私の場合、最終的に「ひとり企業」という選択をしました。
そして、弊社では「受注プロセス戦略」という普遍性の高い技能体系を、のれん分け可能なモデルとして設計しています。
これは、クライアントが一定期間実践を通じて成果を出した場合、そのメソッドを自らの資産として活用できる仕組みです。
つまり、「独立」や「自立」を妨げず、むしろ促進する構造です。
弊社は「人員を囲い込む」ことを目的としません。
それは、①優秀な人材ほど独立した方が成果も自由度も高いこと、②自社メソッドを開示することでクライアントの成長がそのまま技術継承になること、この2つの信念によるものです。
努力が”他人の成果”ではなく、”自分の糧”となるように設計する。 私が天井にかぶさっている訳でもない。業績を向上させれば、それはクライアント自身の成果になる。これこそが、健全な代謝を生む構造だと考えています。
▼分かち合う」前提を持つ戦略
『7つの習慣』でスティーブン・R・コヴィー氏が示すように、 「真の成功とは、自らの成果を社会と分かち合うことにある」という考えがあります。
個人の成功に留まらず、自らのステージを俯瞰して「社会全体を考えた行動」を取る。
それが、成熟した大人の覚悟であり、若い世代に希望の光と健全な代謝を促す責任なのだと思います。
たとえるなら―― レベル99の主人公が、パーティーの全ての敵を倒してしまい、他のメンバーが経験値を得られず成長できない。そんな状況を、誰が健全だと思うでしょうか。
社会を考えれば、ある程度の成功者は「経験値を分配し、次の世代が育つ環境を整える存在であるべきである」――それが、私の矜持です。