ここ一年、「AIを導入した」という経営者の声を聞かない月はなくなりました。
生成AIで資料が速くなった、議事録が一瞬で出る、リードも自動で増えた――等という記事もあります。たしかに、多くの作業が速くなっています。
しかし、ある問いを投げると、多くの方が言葉に詰まります。
それは、「それで、貴社は『特別』になりましたか?」というものです。
速くはなった。生産性も上がった。しかし、競争力が抜きんでたわけでもない。特別になった実感もない。そして、10倍の生産性は、10倍の営業売り上げをもたらしていない。
なぜ、このようなことが起きるのでしょうか?
今日は、この居心地の悪さの正体を、構造で書いてみたいと思います。
▼AIは「開いて」使うほど、答えは平均値に近づく
まず、大原則を整理しましょう。
汎用的なAIに、汎用的な問いを投げる。すると、返ってくるのは「世界中の平均的な良い答え」です。
これは、当然です。AIとは、世界中のデータの平均値から出来ているからです。
しかし、ここに落とし穴があります。
あなたが「良い答え」を得たとき、隣の会社も、競合も、まったく同じ問いを投げれば、ほぼ同じ「良い答え」を得ています。
つまり、AIを開いたまま使うほど、出てくる戦略も、コピーも、企画も、業界の平均値へと収束していく。みんなが賢くなり、みんなが同じになる。
「使いこなしている」という実感の裏で、静かに没個性化が進む。
これが、多くの企業や人間が、「使いこなしているのに特別になった気がしない」理由の正体です。つまり、「ゲームの水準が上がって上澄みで均一化した」とでも言えば良いでしょうか。
▼同じAIでも、「何で閉じるか」で出力は一変する
ところが、同じAIでも、まったく違う使い方があります。
たとえば、自社は「誰に、何のために」売っているのか。受注は、どの瞬間に、何によって決まっているのか。
その固有の文脈と判断軸を制約条件として与えて、AIを「閉じて」運用する。
それは、AIを公開せず自社に合わせて最適化し、所有するデータの範囲で活用する―という引き算の思想です。
一見して「効率が悪そう」なこの運用ですが、それらを実装できると、出力は平均値から離れ、その会社にしか出せない固有解へと収束していきます。
同じ道具が、汎用品にも、独自品にもなる。
分かれ目は、AIの性能ではありません。AIに何を「与えないか」、つまり制約の質です。
以前、商談プロセスの一点だけにAIを絞って使い、リードも発信量も増やさずに受注率が上がった例に触れました。あれが起きたのは、AIを「開いて何でも自動化した」からではなく、受注に最も近い一点に「閉じて」使ったからです。
「何でも出来る装置」だからこそ、「何を組み込むかを決める」という事は、可能性を逆に開く素養がある―と、こうなるわけです。
▼「やらない」を決めることが、いちばん難しい
しかし、ここで多くの経営者が逆を向きます。「せっかく入れたのだから、もっと色々やらせたい」と、欲が出てしまうんですね。しかし、何でも自動化したアウトプットは、たいてい向かい側にいる人間――顧客、取引先、現場――のコストを増やすだけで終わります。
具体的に考えると理解が速いでしょう。
もし、優れたAI活用を自社で出来たとして「もっと拡張しよう」とデータや知見、優れた事例などを「自社関与の文脈を排して」投入し続けると、そのAIはどんどん「汎用的」になります。それは、没個性であり、マーケティングの用語で言いなおせば「同質化」です。
差別化を最も進めなければならないマーケティングが、開いた場に出ていくことは、行動の意味的には「弊社は汎用AIよりも、優れたマーケティング特化の汎用AIを作る」と公言していることと変わりません。
当たり前ですが、このプロセスでは主導者は、世の中にあるメソッド―たいていは、書籍情報や、講演情報などのデータを詰め込むわけですが、それらが学習されるほど、そのAIは「汎用化」していきます。そんなものをユーザーが活用したとして、ユーザーのアウトプットは(それがどんなに優れた理論であれ)、「同質化」することでしょう。
そんなデータが、活用者にとって何の価値があるのでしょうか。
それはもはや、『劣化型汎用AI』でしかないのですから。
このように、AIは、成果の出ない活動も、成果の出る活動も、等しく高速化する。だから定義が曖昧なまま開けば、ノイズの量産速度が上がるだけなのです。マーケティングの意思決定と、まったく同じ構造です。何をやるかより、何をやらないかを決めるほうが、はるかに難しい。「やらない判断」にだけ、「戦略が要る」からです。
▼「閉じる」は、美学ではなく、必要条件である。
弊社では、自社の売り物を8年間、増やしも変えもしていません。
そう言うと、多くの方からすれば「流儀や美学」のように聞こえるかもしれません。
しかし、この解釈はAIの時代においては誤りです。
開いて使えば全員が同じ平均値に着いてしまう以上、差をつける唯一の方法が、自社固有の制約で閉じることなのです。マーケティングは既に、知識をコレクションするものから、活用をセレクションするものに変わったのです。
「閉じる」は、もう個人の好みではありません。差別化の必要条件になったのです。
皮肉なことに、AIは「最良のユースケース」を誰にでも配ってくれます。
しかし、思想なくそれを反映しても、行き着くのは平均値です。
行うべきは、「最良」を借りるのではなく、「誰に、何のために」と向き合って「最適解」へ収束させることです。
その作業だけは、AIには肩代わりできません。AIが進化するほど、それを使う人間の「閉じる力」だけが、最後に残る差になっていきます。
開く者は、速くなります。ただし、速く拡張した先にあるものは、長期的に見れば緩やかな衰退になる。なぜなら、先に述べた通り、行きつく場所が、皆と同じ=同質化・汎用化だからです。
いま、マーケティングに必要なのは、メソッドではもはやありません。必要なのは、「思想」です。
なぜ、これを選ぶのか。なぜ、それをやるのか。どの手法が最も自社の望む未来をもたらすのか。これだけが、汎用AIがもたらすことのできない「判断の極致」だからです。そして、それらは自社の文化・背景・理念・リソース・状況・思想などの複合的な因子からのみ、総合的に決まるのではないでしょうか。
その一点を判断軸に置くことが、本来の企業に求められる「AI時代のマーケティング」なのではないでしょうか。
弊社は、それをクライアント企業様ごとに「言語化し、最適化する」お手伝いを、AI時代が来る前から続けてきました。だからこそ、弊社にとってAIは、いまも「手法の一つ」でしかない。
それが、弊社が8年間支持をいただいている「真理」でもあるのです。