自らが「価値」があると信じるものだからこそ、
その「価値」を感じてくれる人に知ってもらう。

そして、決めるのはいつだって「お客様」
2022.05

私にとっての「マーケティング」とは

2022.05.02

「マーケティングに傾倒しすぎると、強い言葉を求めすぎて、こういう事をやりがち」「マーケティング業界ではこういう考え方は一般的で、顧客を離れられないようにする」

先日の、ある業界人が起こした不祥事(暴言)以来、世間のメディアから、マーケティング、およびマーケティング業界に対して、そんな論調が散見されるようになりました。

十把一絡げと言いますが、外部からそう見える業界への「疑念」が一気に噴き出したという事なのでしょうか。そういう思いをくすぶらせていた人がいたんだなと、自戒を込めて、素直に受け止めています。

同時に、昔、マーケティング業界で、自分自身も感じた「ある懸念」を思い出しました。

いまひとたび、「マーケティング業界」に、(悪い意味で)その焦点が当てられていると思うので、今日は、この風潮についての私なりの意見を述べようと思います。

▼テクニック化するマーケティング業界

「こうすれば上手く行く。これをやれば、数字が改善する。常勝できる」

そうやって「劇的な改善成果」をテクニック論として語る光景は、もはやこの業界では当たり前になりました。セミナー、書籍、SNSでの投稿。ハッキリ言って「成功の法則」が「まん延している」と言っても良いでしょう。

かくいう私自身も、過去そういう業界におり、その種の発言は記憶にあります。今も近い場所にいますから、人さまからは「そういうタイプの人」と思われている事でしょう(実際、この問題の後に、その種のご意見を頂きました)。

「成功」と言うファクターは、自分で事業を行う上でも、お客様とともに達成すべき目標ですから、そこで「私はそういう言葉は使いません」とか述べるつもりはありませんし、否定するのもありません。

ただ、(特に、デジタル分野を中心に)小手先のテクニック論「だけ」に終始する人は案外多く、「勝てば何でもいい」という、うわべだけの知識をもてはやす風潮には、個人的には違和感……正直に言えば「嫌悪感」すらを感じるところでした。

実は、私は、自分の事業で大事にしている事があります。

それが「支援先と、そのプロダクトを好きになること」です。

自分で言うのも何なのですが、私は「ウソをついたり、自分をごまかすこと」が、恐ろしいほど得意ではありません。と言うか、「嫌い」かつ「苦手」です。だから、他人にも思ったままの事を言いがちですし、それが災いして苦労したことも数多くあります。「おまえは生き方が不器用だ」と、若いころから、人さまから何度も言われました。

そんな性分なものですから、申し訳ないのですが、そういう時には、あまり良い仕事が出来ません。

そういう仕事になりそうなときは、お客様のためにも、すべて「お断り」させて頂いております。

▼好きじゃないモノなんか、他人に薦められるわけがない

私は、いい歳して、青臭いかもしれないんですけど、マーケティングの基本と言うか、根底は「その商品が好きで、良いところを理解していて、だから、その『良さ』を少しでも、それに価値を感じてくれる人にわかっていただくこと」にあると思っています。

それを信じています。

だから、支援先の商品を使ってみたり、体感してみたり、そういうのも含めて「仕事」と言うか、マーケティングだと思っていますし、それを人生の一部として楽しんでいます。

お客様の新しいプロダクトが出てきたときも、私が、まず何をするって「商品理解」です。

たくさん質問をして、なぜ、それが良いのか。開発者の想いとか、製品の良さなど、とにかく関係ありそうな、ありとあらゆる情報を集め、可能であれば「体感」するところまで行きます。

案外、皆様はこういう時「いや、うちの商品なんて、そんなに差別化もできないんですよ」とか言いがちなのですが、

私はそれでも、「質問」し続け、その製品に携わる方と「対話」をします。「そんなわけない」と(ある意味お客様よりも)信じているからです。そして、多くの場合、セッションの最後には「確かに。これなら行けるかもしれませんね……!」と、納得いただける場所に、どうにかたどり着く。そんなケースが、本当に多いのです。

おそらく、私の支援先の皆様なら、私のそういう「質問をし続ける姿勢」をすぐに思い出して頂けるかと思います。

申し訳ないのですが、お恥ずかしながら私の実力では「そこまでやらないと、良さを言語化できない」んです。そして、良さの「言語化」ができなければ、「良さを分かってもらう」と言う話にいけないのです。

でも、もし、それが叶えば、本当に困っている人が「これが欲しかったんだよ、ありがとう!」って言ってくれる世界が作れる。売る方も、買う方も、社会貢献と言う意味でも、いわゆる「三方良し」と言う形が成立するはずで、この根底無しに、マーケティングもクソも無いと。

それが、自分がこの業界に15年以上携わって来て、揺るがない「根っこ」と言いますか、それ無しに展開される「マーケティング戦略論」ってもう、(本当に申し訳ないのですが)個人的には、なんかただの言葉遊びとか、数字遊びとか、無機質なゲームみたいなものにしか、感じられません。

先の事件以来、

「私にとってのマーケティングとは何なのだろうか?」

そう、自分と向かい合って出した結論は、「人さまとのコミュニケーション」としての存在です。

私は自分の研修で、モノやサービスが売れる瞬間を、「意図のマッチング」と言っているのですが、

それは、マーケティングが上手く稼働しているときは、

買い手側の「~~をしたい」とか「~~を解決したい」と、
売り手側の「こういう人に、この商品が売りたい」が、マッチングされるからです。

ですから、たとえば、「本当は買う気がない人」に、あるいは、「買ってもありがたみを感じられない人」に、それが販売目標だからとか、そのほうが売れるからとか、あるいはだまし討ちみたいな事をして売るやりかたに、「本当に、価値はあるのか」と。

ましてや、それを「戦略」などともてはやすことに、個人的に正義を感じません。
たとえ、その手法が、劇的に成果が出せるものだったとしてもです。

それは、短期的に成功に見えて、中長期的には企業に利益をもたらさないと、私は思うからです。

もちろん、企業な訳ですから、企業は利益集団な訳で、私も社長ですから「売上なんか、いらない」とか言うつもりは無いです。だけど、最後まで突き詰めて考えた時、「製品や、お客様をリスペクト(尊重)する」姿勢、これだけは「マーケティングをするうえで、忘れてはいけない、マスターピース」だと思っています。

人間は、十人十色です。

だから、別に誰が、どう考えるのも、究極的には自由です。

だけど、少なくとも「マーケティングをしている」と、言うのなら、私は、自社の関わる商品を胸を張って売りたいし、それの良さを知って好きになりたいし、その価値を感じてもらえる人に、「こんなものがあったのか!」と喜んでもらいながら買ってほしい。

そういう姿勢だけは忘れずに、真摯に仕事をしたいなと。そうすれば、そんなにひどい言葉を使うような事態にはならないはずだと。そして、それを「目指しているのに、やり方が分からなくて、出来ない企業」こそ、助けてあげたいと。

あらためて、そう思いました。

あなたの会社の製品や、サービスは、誰かを幸せにしていますか?