私は、いい歳して、青臭いかもしれないんですけど、マーケティングの基本と言うか、根底は「その商品が好きで、良いところを理解していて、だから、その『良さ』を少しでも、それに価値を感じてくれる人にわかっていただくこと」にあると思っています。
それを信じています。
だから、支援先の商品を使ってみたり、体感してみたり、そういうのも含めて「仕事」と言うか、マーケティングだと思っていますし、それを人生の一部として楽しんでいます。
お客様の新しいプロダクトが出てきたときも、私が、まず何をするって「商品理解」です。
たくさん質問をして、なぜ、それが良いのか。開発者の想いとか、製品の良さなど、とにかく関係ありそうな、ありとあらゆる情報を集め、可能であれば「体感」するところまで行きます。
案外、皆様はこういう時「いや、うちの商品なんて、そんなに差別化もできないんですよ」とか言いがちなのですが、
私はそれでも、「質問」し続け、その製品に携わる方と「対話」をします。「そんなわけない」と(ある意味お客様よりも)信じているからです。そして、多くの場合、セッションの最後には「確かに。これなら行けるかもしれませんね……!」と、納得いただける場所に、どうにかたどり着く。そんなケースが、本当に多いのです。
おそらく、私の支援先の皆様なら、私のそういう「質問をし続ける姿勢」をすぐに思い出して頂けるかと思います。
申し訳ないのですが、お恥ずかしながら私の実力では「そこまでやらないと、良さを言語化できない」んです。そして、良さの「言語化」ができなければ、「良さを分かってもらう」と言う話にいけないのです。
でも、もし、それが叶えば、本当に困っている人が「これが欲しかったんだよ、ありがとう!」って言ってくれる世界が作れる。売る方も、買う方も、社会貢献と言う意味でも、いわゆる「三方良し」と言う形が成立するはずで、この根底無しに、マーケティングもクソも無いと。
それが、自分がこの業界に15年以上携わって来て、揺るがない「根っこ」と言いますか、それ無しに展開される「マーケティング戦略論」ってもう、(本当に申し訳ないのですが)個人的には、なんかただの言葉遊びとか、数字遊びとか、無機質なゲームみたいなものにしか、感じられません。
先の事件以来、
「私にとってのマーケティングとは何なのだろうか?」
そう、自分と向かい合って出した結論は、「人さまとのコミュニケーション」としての存在です。
私は自分の研修で、モノやサービスが売れる瞬間を、「意図のマッチング」と言っているのですが、
それは、マーケティングが上手く稼働しているときは、
買い手側の「~~をしたい」とか「~~を解決したい」と、
売り手側の「こういう人に、この商品が売りたい」が、マッチングされるからです。
ですから、たとえば、「本当は買う気がない人」に、あるいは、「買ってもありがたみを感じられない人」に、それが販売目標だからとか、そのほうが売れるからとか、あるいはだまし討ちみたいな事をして売るやりかたに、「本当に、価値はあるのか」と。
ましてや、それを「戦略」などともてはやすことに、個人的に正義を感じません。
たとえ、その手法が、劇的に成果が出せるものだったとしてもです。
それは、短期的に成功に見えて、中長期的には企業に利益をもたらさないと、私は思うからです。
もちろん、企業な訳ですから、企業は利益集団な訳で、私も社長ですから「売上なんか、いらない」とか言うつもりは無いです。だけど、最後まで突き詰めて考えた時、「製品や、お客様をリスペクト(尊重)する」姿勢、これだけは「マーケティングをするうえで、忘れてはいけない、マスターピース」だと思っています。
人間は、十人十色です。
だから、別に誰が、どう考えるのも、究極的には自由です。
だけど、少なくとも「マーケティングをしている」と、言うのなら、私は、自社の関わる商品を胸を張って売りたいし、それの良さを知って好きになりたいし、その価値を感じてもらえる人に、「こんなものがあったのか!」と喜んでもらいながら買ってほしい。
そういう姿勢だけは忘れずに、真摯に仕事をしたいなと。そうすれば、そんなにひどい言葉を使うような事態にはならないはずだと。そして、それを「目指しているのに、やり方が分からなくて、出来ない企業」こそ、助けてあげたいと。
あらためて、そう思いました。
あなたの会社の製品や、サービスは、誰かを幸せにしていますか?