成果を求めるのなら、「学び」を分解せよ。
成果は「才能」×「教育」×「訓練」で決まる。
2022.06

組織が「成果を永続する」ために求められること

2022.06.01

「教育が、才能や訓練を凌ぐことはない」
古代ギリシアの哲学で使われていた言葉だそうです。

もう少し細かく書くと、こうなります。

「才能」と「教育」と「訓練」があり、「教育」が「訓練」や「才能」を凌ぐことはないが、「訓練」は時として「才能」を超えることがあるかもしれない。

弊社の事業で考え、下記のように分解してみます――。

才能……その会社の持っているリソース(人材・環境など)。
教育……セミナー、講演、研修などに参加して知識を得ること。
訓練……得た知識を実務の中で研鑽していくこと。

――正直、自身の過去の支援を振り返っても、同意と共感しか感じません。

今日は、その理由についてお話しします。

▼実は、弊社の起業は「あきらめ」から生まれた

それを解説するためにも、少し、私の話をしましょう。

実は、私がこの会社を起こす少し前、ある程度の役職につき、数多くのマーケティングイベントに登壇していた際に、自身に感じていたことが、この「訓練≒鍛錬の不足」でした。

立場が偉くなり、年齢を重ね、現場からも離れ、「先生」と呼ばれ講演を繰り返す中で、一方で冷静な自分が「このままだとダメになるな」と、焦りを感じていました。その理由は、自分の感覚が少しずつですが「鈍っている」ことに、自分なりに気が付いていたと言う事実でした(一方で、そんな劣化している自分が公の場に出るたびに、世間からの評判が「敏腕マーケター」の様に、上がっていったのは、皮肉でしかありませんでした)。

私は、弊社の代表プロフィールで独立をした理由を「世のためだ」と書いています。

この言葉に、ウソはありません。確実にその側面はありました。

しかし、人の決断は、そんなに単純なものだけでは決まりません。
これは、己の未来を考えた末に打たれた「布石」でも、ありました。

当時の私は40手前。その時に何を考えていたのかと言うと、65歳以降の自分の「在りよう」でした。まだ、副業と言う言葉が定着していなかった頃、「将来どうしよう」と思っていた私が目を付けたのが「顧問」と言うスタンスでした。

もともと、「顧問」に関する私のイメージと言えば、たいてい、年齢の行った老人で、会社にやって来て、時代外れの武勇譚と正論を語る人たちの事でした。

だから、当時の私は彼らに「反骨心」しかありませんでした。
「気楽な立場から、偉そうなことばかり。責任すら持たないくせに」と。

その一方で、冒頭で書いたような「現場を離れることによる劣化」を自らの身に感じた私は、将来の自分の姿を、彼らに重ね、焦り、自問するに至りました。

「でも、このままだと自分もそういう風になる。間違いなく――」と。

おそらく10年。50代くらいまでは「元何とかで〇〇をやっていました」とかごまかしが利くことでしょう。しかし、問題はその後です。

そして、次に考えました。

「いましかできない決断があるのではないか。最も価値の高い(キャリアハイの)今の自分を、最大に使う方法は、何かないのか」と――。

その時に参考にしたのは、プロ野球界でした。

個人的に、プロ野球界は「キャリアの縮図」だと思っています。

・花々しいキャリアを手に「まだやれるのに」と惜しまれながら球界を去る選手
・怪我や年齢によりボロボロになりながら「晩節を~」と言われながらやり切る選手
・選手から監督、コーチなどに転身していく選手
・キャラクターを活かし、芸能界や解説者に入っていく選手

自分の憧れだった選手や、年下の選手が毎年何らかの形でキャリアを終えていく。

名選手と呼ばれた人間の「選手としての去り際」は本当に様々です。

正直、どの道も「その選手なりの人生と美学(価値観)」があると思っているので、ここでは是も非も唱えるつもりはありません。

ただ、シンプルに「自分ならどういう転身が合っているのか?」を突き詰めて考えた結果、選んだ道が「監督/コーチ(つまり、人間/組織を構築する)」と言う立場でした。

そして、「もう、現役マーケター(選手)を自称するのは辞めよう」と、決めました。

つまり、この側面からだけ考えれば、あの時の私の「独立・起業宣言」は、

「己の実力にピークアウトと限界を感じたから、己の在り処を変えた――」

と言う、「引退(敗北)宣言」に他ならなかったわけです。

▼「負け」を認めた先にあった「気づき」

ところが、その「負け」を認めた先の私に面白いことが起こり始めました。

数々のクライアント企業様に対して「ピークレベルの元プロが、原点に返って手伝い、責任を持って成果を出す」と言うこの事業そのものが、結局、わたし本人が「生きるため」に、私に絶え間ない「成果を出さないとオシマイ」と言う「訓練(というか試練)」という機会を、絶え間なく課すに至ったのです。

ただ、幸運なことに、私には「現役時代からのブランク」はありませんでした。

だからこそ、私は名誉もプライドも持たず、その「泥臭い鍛錬の日々」に3年もの間、仕事の時間における「ほぼすべて」を投じる事ができました。

すると、どうでしょう――。

数々のクライアント様を成果に導きながら、いつしか手掛ける企業は30社、プロダクトは100件を優に超え、ワークショップの参加者だけなら4ケタにも届いてしまいました。

結果、登壇を繰り返した3年前の自分を「まだまだ未熟だったな」とあしらえるくらいまで、明らかに私のマーケティングの実力が、再び伸びるに至ったのです。

と、そこまで、実績を山積させた末に、ある時、ふっと、気が付きました。

そうか、あの時の「顧問」は、何も悪くなかったんだ――と。

▼なぜ、「古いタイプの顧問」は、現場では成果を出せないのか

考えてみれば「当たり前」なのですが、あの当時。かれら「顧問」には悪意はなかったのです。彼らは彼らで本気だったのです。本気で我々の事業を改善するためのアドバイスをしようとしていた。

ただ、問題はそこに「鍛錬」が、あまりにも長い間に欠けてしまったから。彼らはもう「現役の戦場」に戻ってくるには、いささかブランクが長過ぎた――。

だから、当時、現場にいた我々と「ピント」が合わなかった――。

ただ、それだけのことだったのです。

つまり、彼らに何が足りなかったのか――。

それは、才能でも知識でもない(だから偉くなったんですもの)。

純粋に、「鍛錬の継続」だったという話です。

▼組織が成果を永続するために求められることとは

さて、話を最初に戻しましょう。

弊社は事業を下記のように分解して考えています――。

才能……その会社の持っているリソース(人材・環境など)。
教育……セミナー、講演、研修などに参加して知識を得ること。
訓練……得た知識を実務の中で研鑽していくこと。

つまり、「マーケティング組織」を永続させるために求められるのは、「組織自体の絶え間ない鍛錬」です。

ただし、そこには「その会社に合っている」「その会社の良さを生かしている」と言う前提条件が付きます。

それは言い換えると、

1)自社の規模感と推進力(組織)を理解すること
2)自分たちにとっての「目指すべき行き先(戦略)」を理解すること
3)自己修復能力(改善)を保持しながら、正しく歩き続けられること(文化)

と言う3ステップでの歩み(才能と訓練)に他なりません。

この「船体(組織)」「羅針盤(戦略)」「動力(改善する文化)」の3つの「核」をそろえる事こそ、未来と言う大海原に貴社が乗り出すための必須要件となる事でしょう。

それは、私自身の経験からも自信を持って言えることです。

そして、貴社にとっての最適なそれらを「揃え、動かすこと」こそが、弊社が体現してきた歩みであり、弊社のメソッドの「核」を形成するものでもあります。

だからこそ、弊社のマーケティング支援は、いつも「組織から」はじまります。

最後はいつものように、お伺いして終わりましょう。

貴社には、マーケティングを業績改善につなげ、その組織を永続させるための「核」が整っていますか?