それを解説するためにも、少し、私の話をしましょう。
実は、私がこの会社を起こす少し前、ある程度の役職につき、数多くのマーケティングイベントに登壇していた際に、自身に感じていたことが、この「訓練≒鍛錬の不足」でした。
立場が偉くなり、年齢を重ね、現場からも離れ、「先生」と呼ばれ講演を繰り返す中で、一方で冷静な自分が「このままだとダメになるな」と、焦りを感じていました。その理由は、自分の感覚が少しずつですが「鈍っている」ことに、自分なりに気が付いていたと言う事実でした(一方で、そんな劣化している自分が公の場に出るたびに、世間からの評判が「敏腕マーケター」の様に、上がっていったのは、皮肉でしかありませんでした)。
私は、弊社の代表プロフィールで独立をした理由を「世のためだ」と書いています。
この言葉に、ウソはありません。確実にその側面はありました。
しかし、人の決断は、そんなに単純なものだけでは決まりません。
これは、己の未来を考えた末に打たれた「布石」でも、ありました。
当時の私は40手前。その時に何を考えていたのかと言うと、65歳以降の自分の「在りよう」でした。まだ、副業と言う言葉が定着していなかった頃、「将来どうしよう」と思っていた私が目を付けたのが「顧問」と言うスタンスでした。
もともと、「顧問」に関する私のイメージと言えば、たいてい、年齢の行った老人で、会社にやって来て、時代外れの武勇譚と正論を語る人たちの事でした。
だから、当時の私は彼らに「反骨心」しかありませんでした。
「気楽な立場から、偉そうなことばかり。責任すら持たないくせに」と。
その一方で、冒頭で書いたような「現場を離れることによる劣化」を自らの身に感じた私は、将来の自分の姿を、彼らに重ね、焦り、自問するに至りました。
「でも、このままだと自分もそういう風になる。間違いなく――」と。
おそらく10年。50代くらいまでは「元何とかで〇〇をやっていました」とかごまかしが利くことでしょう。しかし、問題はその後です。
そして、次に考えました。
「いましかできない決断があるのではないか。最も価値の高い(キャリアハイの)今の自分を、最大に使う方法は、何かないのか」と――。
その時に参考にしたのは、プロ野球界でした。
個人的に、プロ野球界は「キャリアの縮図」だと思っています。
・花々しいキャリアを手に「まだやれるのに」と惜しまれながら球界を去る選手
・怪我や年齢によりボロボロになりながら「晩節を~」と言われながらやり切る選手
・選手から監督、コーチなどに転身していく選手
・キャラクターを活かし、芸能界や解説者に入っていく選手
自分の憧れだった選手や、年下の選手が毎年何らかの形でキャリアを終えていく。
名選手と呼ばれた人間の「選手としての去り際」は本当に様々です。
正直、どの道も「その選手なりの人生と美学(価値観)」があると思っているので、ここでは是も非も唱えるつもりはありません。
ただ、シンプルに「自分ならどういう転身が合っているのか?」を突き詰めて考えた結果、選んだ道が「監督/コーチ(つまり、人間/組織を構築する)」と言う立場でした。
そして、「もう、現役マーケター(選手)を自称するのは辞めよう」と、決めました。
つまり、この側面からだけ考えれば、あの時の私の「独立・起業宣言」は、
「己の実力にピークアウトと限界を感じたから、己の在り処を変えた――」
と言う、「引退(敗北)宣言」に他ならなかったわけです。