これは法人のみならず、個人の露出でもよく見られるのですが、たとえば、多くの人や企業は、大きな媒体や影響力のある方に取り上げられ、注目されることを望みます。世の中には「そこに取り入る手段」をノウハウ化している方すら存在します。
おそらく、その戦略は「その瞬間だけ」を考えるのなら効果的でしょう。
なぜなら、それがうまくいけば、一時的に、貴社(あるいは貴方)は注目を浴び、圧倒的な成果が出るからです。効果が伸びて「やった!」と思う訳です。ある種のSNSのバズなんかは完全にそう思います。
しかし、そこに、自身の中身が伴うならいざ知らず、もしそれが身の丈以上の“型なき集客”だった場合、あなたはその後、延々と2つの「致命的な弱点」と向かい合うことが求められます。
そのひとつ目は「再現性」の問題です。
一時的に爆発をさせるタイプの施策は、伸るか反るかと言ったような、ある種の博打的な側面を持っており、通常「1回目」こそが最も大きな影響力を発揮します。
当たり前ですが、同じネタで継続して成果を上げ続けることは困難ですし、それを続けるためには手を変え、品を変え「何がハマるのか」を模索し続けなければなりません。
言うなれば「一攫千金」の金脈探しのようなもので、とにかく(企業の施策であれば)社内でも認められるために、より多くの人に注目を浴びようとします。
さらに、タチの悪いことに、周囲(上司や、時にはフォロワーなど)からは「次はもっとだ!」とより高いハードルをも課されてしまうのです。
さて、そうなると多くの場合、担当者はその要望に応えるために、より「強烈な行動」へとエスカレートしていかざるを得ないのです。無理をし、さらに実力以上のことをし、始終、その動向にだけ日常の意識すら捕らわれていく人もいます。
……結果、そういって形成される「イメージ」は、どんどん「本来の目的」から、かけ離れて行ったものになってしまうことすらあります。
2つ目の問題は、この1つ目に紐づく(というか延長線上にある)のですが「相手のイメージと、(自らが理解している)実像のギャップ」の問題です。これが、まず解消できない。
そもそも、拡散がされる……というのは、ストレートに「より、自分のことを全く分かっていない人間まで広く届く」という事実に直結します。それは即ち「良く知らない相手から、勝手なイメージを自分勝手に形成される」ということを意味します。
そう、まさに、冒頭の私のように……です。
しかし、残念ながらそこに存在する「実像」については、別にバズって人格が上がるわけでもなし「ありのまま」でしかありません。そして、当たり前ですがイメージしている側の人には悪気はありません。
なぜなら、そのキッカケを作ったのは、外ならぬ発信者自身なのですから。
だからこそ、どうにかしようとするのですが、仮にそこで一時的な「その場しのぎ」が出来たとしても、結局、最後の最後まで貫き通すことはできません。
理由は簡単です。
「自分には、その期待に応えるだけの実力が、そもそも無い」
残念ながら、これが真実だからです。
内輪ならまだ収まるからいいんです。でも、一般(大衆)まで拡散した状態だと、もうどうにもなりません。
たとえば、過去の私を例にあげれば「英語? しゃべれるよ?」とかフカしてみたところで、「じゃあ、喋ってみてよ」とか言われるくらいならまだしも、下手をすれば、何かの拍子に「あ、そうなんだ。ちょうど来月、外国人交流で生徒が来るからスピーチしてよ!」とか言われた日には……悪夢としか言いようがありません。
もしそうなれば、欠席するでしょうね。そして間違いなく「きっと、あいつ本当は喋れないんだぜ。最低の嘘つきだ」とか、陰口を叩かれ、信頼も地に落ちる事でしょう。
完全に自業自得です。まさに「虚像の末路」と言っていいでしょう。
このような話は個人に限らず、法人格にしても同じことが言えます。自社の魅力、サービスを正しく「価値」として認識し、身の丈をわかっていない訴求をすれば、冗談ではなく「誰も幸せにならない関係」に、いずれ陥るのです。
たとえば、「貴社のサービスなら何でもできるんですよね!」と過剰な期待をさせたことで、一時的に多くの契約をとれたとしたとします。
しかし、それらがゆくゆく「最悪の満足度」「止まらない解約」「山積するクレーム」という問題を噴出させるのには、さほど多くの時間はかからない事でしょう。
そして、もっと手前のプロセスでも「それは起きる」のです。
実際、我々の身の回りにも「それ」はあふれています。
みなさまも、ご経験はありませんでしょうか?
記事の「釣りタイトル」=記事の見出しは良いが中身はペラッペラ
誘導しか考えていない「広告バナー」=クリックするとガッカリして直帰
中身のない「コミュニティ」=その場限りの承認欲求(武勇伝や、称え合い)に終始
誇大告知した「製品」=景表法や薬事法など法令違反の可能性すらありえる
我々が「疑問を感じた」それらすべては「実に、本質」です。
みなさまの思われる通り、それらは中長期的に企業に「不利益」をもたらします。
なぜなら、皆様はそれらに触れた折に「怒り」や「落胆」を感じたわけですから。